意識変革
週末は疲れがきてしんどい。
僕よりも早起きしてくれる彼女は、起きる瞬間すごく嫌だろう。
もっと寝ていたいと思うだろうし、仕事に行きたくないとも思うだろう。
そしてなにより、朝から食事やら弁当やらの支度をしたくないとも思うだろう。
今日彼女がそんなことを言っていたので、彼女の気持ちを考えて、そうだよなあって思ってた。
僕が朝目覚めて、仕事行きたくなくて、身体が動かなくって使い物にならないクズ状態になっている頃、彼女は一生懸命お弁当を用意してくれている。
僕の朝ごはんも用意してくれる。
手伝ってあげたいという思いはあるけど、しんどくて動けないが勝ってしまう。
自分がやりたくないことを彼女に押し付けてしまっている。
自分より遅く起きて、起きてもだらだらしている僕を見たら、彼女は少なからず嫌な気分になるんじゃないかなあって思う。
それでも彼女は僕に怒ることもなく、ゆっくりさせてくれて、うとうとしてたら起こしてくれて、ご飯も用意してくれる。
優しすぎる。とってもありがたい。
その罪滅ぼしというわけでもないけど、やれることはやろうと思って、朝起きて洗濯物を干すのは極力やっている。
朝できない分、仕事終わってからの家事はできるだけやろうとも思っている。
晩ごはん作ったり、洗い物したり、翌日のご飯炊く準備したり。
実際はしんどくてできてない日もあるけどね。
僕の中で、朝早く起きて支度をするというのが一番しんどいことだから、そこを彼女がやってくれて、めちゃくちゃ助かっている。
甘えまくっている。
だから、せめて他の部分で彼女に楽をしてもらいたいと思う。
先日、仕事でお邪魔したところの奥様が、私たちの時代では旦那はなにもしなくて、妻が全部やるっていうのが当たり前だったから、今の男の人って偉いなあと思うって言ってた。よくやるなあと思うって。
考え方の変革がどこかの時代であったんだろうなあと思った。
彼女に全部任せたらそりゃあとっても楽だろう。
でも彼女がつらくなってしまったら意味がない。
楽しく生活したいのに、僕ばっかり楽をして、彼女はめちゃくちゃしんどいんじゃ意味がない。
だから、しんどいのを分割して、ちょっとしんどいくらいになればいいなと思って家事をしている。
これは当たり前のことだと思う。
朝はまさに旧時代的なんだけどさ。
僕に、家事を手伝ってあげているとか、やってやってる的な思考は一切ない。
それだと、元々は全部彼女の仕事なのを、僕が善意で負担してあげているって感じになっちゃうじゃない。
家事をするのは当然のことだと思う。
そうじゃなくちゃいけない。
奥さんが、どうしても全部自分でやりたい!っていう人じゃなければ、分担してなにか家事をやるほうが良いと思う。
常にやってれば、奥さんから文句もでないじゃんね。
たまーに手伝うとやり方が違うって言われちゃうけどさ。
そんなことを考えました。
おわり。