家事とは仕事である
先日も少し、家事は仕事のようなものだと書いた。
うまく書けてなかったような気もするので、改めてそれについて書いていこうと思う。
料理であっても、洗濯であっても、どのような手順でどのように行うのかというのを考えてやると効率がいい。
これって仕事と全く一緒。
目の前に積み上げられた仕事を、どのような順序でどのように処理していけば早くこなせるか、考えてやると効率がいい。
だからきっと、仕事ができる人は家事もできるんじゃないかなあと思う。
仕事ができても、家事ができないひとは、家事を仕事と同じように捉えてないのかもしれない。
家事は別物というか。
僕は家事を一生懸命やればやるほど、仕事だなあって思う。
いかに効率よく料理をするかとか、複数ある家事をどの順番でこなせばタイムロスが少ないかとか、僕が今仕事でしてることと似ている。
限られた時間をいかに有効活用するかを考えている。
家事に対して給料を求めちゃうような主婦の気持ちも、分からなくもないなと思う。
それくらい家事って大変だ。
家事を仕事として考えると、分担というのは非常に重要だということが分かる。
仕事って適材適所とか、大量の仕事をうまく割り振ってこなしていくよね。
僕たちはこれがうまくできるんじゃないかなと思う。
一緒に仕事していたときも、お互いの働きっぷりは評価していた。
色々改善案を考えて、試行錯誤も一緒にしてきた。
そんな僕たちが、家事をうまく分担してやれないわけがないのだ。
彼女がこれをやっている間に、これをやっておこうとか。
これをやってると手が放せないなあって思ってたら、彼女が気付いて別のことをやってくれたりだとか。
阿吽の呼吸みたいな感じで、うまく家事ができてるんじゃないかなと思う。
とってもいいことだ。
お互いのことを思いやっているからこそできることかもしれないね。
自分が楽をしたいという思いがあったとしても、相手を優先してあげられる優しさ。それがお互いを助けている。
これも仕事と一緒だよね。
思いやり。
仕事ができる彼女と一緒に暮らせてよかった。
しあわせ。
おわり。