べき思考
物事の考え方に「~するべき」「~しなければ」という考え方があり、それを「べき思考」と呼ぶらしい。
彼女はよく、自分に対しても誰かに対してもこの「べき思考」で物事を考えてしまうらしい。僕自身もわりと「~すべき」という考え方をするせいか、そこまで彼女の「べき思考」について気になってはいなかった。
しかし最近、彼女のストレスに関して話し合っている時に、彼女が自分の「~すべき」という考え方が良くないという話をしてくれた。「べき思考」に関して聞きかじった事があった僕は、確かにその考え方を変えることができるのなら、きっと彼女は少し楽になるんだろうなあと思った。
彼女自身も言っていたけど、考え方を変えるなんていうのはそう簡単にできることじゃない。この考え方が良くないからやめた方がいいって思って切り替えられるんならそもそも悩む必要もないわけで。
というわけで「べき思考」に関して少し調べてみた。
「すべき思考」は日常に無用の感情的混乱をもたらします。もし実際の行動が「すべき」「すべきでない」の基準に合わないと、自己嫌悪、恥や罪の意識を感じ ることになります。世の中の人の行動も、大抵この基準に合いませんから、にがにがしく感じることが多く、独善的になりがちです。この結果、現実に裏切られ たように感じたり、人の行動にがっかりさせられることが多くなります。
こうあるべきだというような思考を基準にして、自分の行動や他人の行動を評価するため、そこからそれてしまった場合にストレスを感じてしまう、ということのようだ。
また
べき思考の変形として、「○○しなきゃ」と言う口癖もかなり多くみられるよ。その口癖は、「○○しなきゃ“いけない”」「○○しなきゃ“ダメ”」という後 半を省略しているというところがミソで、実は、「○○していない現在の自分(相手)は、いけないダメな存在」という否定の表現なんだ。だから、「○○しな きゃ」と言っている人は、焦りや追われている感じがしたり、気が休まらないからピリピリしていることが多い。
「~しなきゃ」とういう言い方も「べき思考」の一つのようだ。
彼女はよく「~しなきゃ」っていう気がする。
これを調べていて、彼女が少なからずこれに当てはまる考え方をしているなあってことは分かった。深刻さで言えばそこまでじゃないにしても、やはりこの考え方によってストレスを感じているのは間違いない。
ではこの考え方をどうやったら変えられるのかということになる。
やはりこの考え方に陥りやすいのは完璧主義の方のよう。
「~するべき」という考え方を「~するにこしたことはない」あるいは「~が望ましい」「~できた方がいい」という風に変えてみるということが重要みたい。
頑張らなくてはいけないという考え方を、頑張れるなら頑張ったほうがいい、頑張らない時があってもいいというように考える、みたいな。
でもさ、これって難しいよね。「~すべき」って考えてしまうことが自然っていう状態を変えるって。
こうやって書いている僕自身、こんなことできるの?意味あるの?って思ってしまう。
でも、もしよかったらやってみて。意識して言い換えることで効果があるみたいだから。
一人だったら大変だろうから、僕もお手伝いしたい。ついでに自分の「べき思考」も変えられたらいいと思う。
一人だったらその考え方に固執してしまって容易には変えられないだろうけど、誰かが「それに越したことはないけど、そんなに頑張らなくていいんだよ」って言ってくれたら変えられるかもしれない。
何も変わらないかもしれないし、役に立たないかもしれないんだけど、少しでも彼女にとって良いことがあればなーって思う。こういうのを調べることもそうだし、マッサージをするのもそう。精神面も身体面も、僕のできる限り助けてあげたい。
彼女のストレスを軽減することが今の僕の大きな目標。