かばのにおい

「彼女」について綴るための場所。非常に私的な内容となりますのでご了承ください。

芝生の青さ

 僕は彼女にとって特別でありたい。なにものにも代えがたいかけがえのない存在でありたい。

 彼女の友人であるももちゃんが、会話の中で僕の名前を出してきて、僕は彼女に必要とされているけど、ももちゃん自身は彼女に必要とされているのか分からない、というような事を言うらしい。

 僕だってそんなに彼女に必要とされている自覚なんてないのになあって思う。彼女が連絡を取ってくれて、遊んでくれるから僕は彼女と一緒にいていいんだって思う。でもそれは僕が連絡を取りたい、遊びたいって思っているから彼女が付き合ってくれているという風にだって考えられる。必要にされているって感じるには、例えばどこに行くにも一緒に来てって言われたり、何かあったらすぐに連絡が来たり、なにかお願いされたり頼られたりすることが多かったり。あぁ、僕必要とされてる。彼女に必要とされてるじゃん。今ここに書くまで本気で分かってなかった。そうか、そりゃあももちゃんもそうやって言うわ。

 ももちゃんはこうも言っていたらしい。僕は彼女と趣味があったり話があったりして一緒にいる理由があるけど、ももちゃんにはそういう理由がないように思うからどうして仲良くしてくれるのか分からないと。

 それを聞いたときに、彼女と趣味が合うなあとか話が合うなあ気が合うなあというような感覚、最近感じてないなーって思った。同じものを良いって思うのが当たり前で、話が合うのが当たり前って感じになりつつあるなあって。自然なことだからわざわざ意識しなくなってる。もちろん考えが合わない部分もあるし、別々のものを好きになることだってある。当然だよね。でも、意見が合わないからいけないとか、好きなものが別々だから良くないとかそういう思考じゃなくなった。違いはあっていい。むしろある方がいい。僕と彼女は別々の人間なんだから、共通点が多くあるのは良いことだけど全く同じ思考をしなきゃいけないわけじゃないし、そんなことできるわけない。別々のものが好きでも、興味の方向性が違っても、話していて楽しければ一緒にいる理由になる。共通点探しなんてしなくてもいいんだなーって今は思える。

 でもやっぱりこれは彼女と過ごした時間が長いからそう思えるのだ。僕だってずっと彼女との共通点探しをして、同じ話題で盛り上がれるように興味の幅を広げて、ってしていた。今でも共通点があったら嬉しいしね。

 だからももちゃんがそういう風に考えて不安になるのもすごく分かる。

 ももちゃんからみたら僕の立ち位置はすごく羨ましいものなのかもしれない。僕と自分を比較してしまうのかもしれない。そこまで大げさなものじゃないかもしれないけど。

 でも僕からしたらももちゃんが羨ましいときもある。ももちゃんは一人暮らしだから彼女を家に招けて宅飲みできちゃうし。鍋パーティーもできちゃう。それになにかと気にかけてもらえてるとも思う。

 結局、隣の芝生は青いってことなんだと思う。

 僕はずっと彼女に必要とされたい、彼女にとって特別な存在でありたいって思い続けてきて、それに対して自分なりに努力もして頑張ってきた。でもそれによって彼女の心のなかで変化が訪れていたとしても僕はそれを知ることができないし、具体的に実感できるものでもないのかなーって思っていた。でも今日これを書いて彼女に必要にされてるなあって感じることができたからよかった。

 ブログ書くのって大事ね!

 もっともっと彼女にとって重要な存在になりたいなあ。もう離れたくない!くらいのさ。