かばのにおい

「彼女」について綴るための場所。非常に私的な内容となりますのでご了承ください。

優しさの重さ

 今日で記事数が365になる。日数的にはまだ足りてないんだけど、ある意味節目かもしれない。そうは言っても特に何か変化があるわけじゃないよ。思わせぶりなこと言ってごめんね。

 今日は、彼女がやっぱり友人に恵まれているなあと思ったお話。

 昨日彼女はちょっと自暴自棄になっていて、何もかもが嫌になっていて、とってもつらそうだった。僕はその時彼女の側にいてあげたいと思ってもどうにもならない状況で、携帯に送られてくる彼女の言葉を読みながら心配していた。彼女が楽になるようなことを言ってあげたいと思っても、暖簾に腕押しみたいな感覚があって、どうすれば彼女をどん底からすくい上げてあげられるのか頭を悩ませていた。

 結局しばらくして彼女は落ち着いて、ほぼそのままの流れで寝てしまった。すごく疲れたんだと思う。その少し前に彼女は信頼している友人に向けて心境を吐露したメッセージを送っていた。友人は寝ていたのでその時返信は無かったし、彼女が事前に返信はいらないという旨を記していたから、見たとしても返信がある確証は無かった。

 そして今日、友人からお返事があったって報告があった。時間が無いからって言いながら長文で返してくれたようで、彼女のために朝の貴重な時間を使ってくれたことが伺えた。それをしてくれるだけでとてもいい友人だと思う。加えて送られてきた内容も全体的に素敵だった。その中でも特に良いなって思った言葉があって「自分の優しさを自分と同じくらいの重さで受け取ってくれる人はいない」というもの。彼女の置かれている状況をすごく良く表現していると思う。彼女は誰にでも優しくできる。ちょっと表現が大雑把だけど、彼女の優しさの範囲は広い。ちょっと関わりのあるくらいの人にも友人くらいのやさしさで接することができる。すごく仲が良くなった人は別として、それ以外の人たちに対してある一定の優しさで接することができる。僕からするとそんな人にまでいろいろ考えて優しくしなくてもいいんじゃない?って感じるくらい。

 そうやって彼女が与えた優しさの重みは、彼女が与えたと思っている量と、受けた相手が思う量では確実に違う。ほぼ100%軽く感じているはずだ。どの程度の軽さで感じているかの差異はあるだろうが、彼女が与えた優しさを全てしっかり受け止めるってことはどれだけ努力しても無理だと思う。それは彼女だからというわけではなく誰でも。与える側の苦労を受ける側は理解できない。

 それにしたって彼女の周りには彼女の優しさの量を見誤っている人が多い。だから彼女はいつも悲しい思いをすることになる。彼女の大きな優しさを受けるだけ受けて、その大きさがどれくらいなのか考えることをしない。僕や、彼女の友人はそれを他の人よりもよく理解していて、彼女の優しさの大きさ、重さに気付いているんだと思う。

 この表現ができるってことは彼女のことをしっかり考えて理解してくれているってことだなって思ったら、僕が嬉しくなった。とっても良い友人を持つことができてよかったねって思った。彼女の周りに良い人が多ければ、僕も自分のことのように嬉しい。自分の大好きな人が、大切に思われているなって分かると嬉しい。ついでに僕もそれと同じくらい、いやもっと大切に思ってるよって張り合いたくなってしまう。ちょっとだけね。

 彼女の話っていうより友人の話みたいになっちゃったけど、これだけ彼女のことを思ってくれている友人がいるっていうのは恵まれてると言ってもいいのかなって思った。数ではなくて質という意味で。

 そしてそんなしっかりした友人を持てるということは、彼女自身の人柄とか雰囲気が友人にとってそれだけする価値がある人と思わせたってことで、彼女の人望であると言えるんじゃないかな。