かばのにおい

「彼女」について綴るための場所。非常に私的な内容となりますのでご了承ください。

誇れる

 今日、以前の職場で一緒だった、貴婦人さんと連絡を取っていた彼女。

 どんな話をしていたのか、あとで教えてもらえた。

 職場の現状とか、仕事ができない人の話とか、そんな内容。

 そこで気になったのが、かの有名な座敷わらしについての、貴婦人さんの発言。

 今まで気づかなかったけど、座敷わらしさんは時々、ん?って思うことがあるって。

 ダメさにやっと気づいたらしい。

 今までずっと、彼女は座敷わらしのダメさについて、話をしていた。

 それが全く伝わっていなかったのかと、彼女は肩を落としていた。

 自分が迷惑を被って、イラッとさせられないと実感がないから、ほんとうの意味での理解ができないのかもしれない。

 話を聞いているだけだと、他人事感が抜けないというのはありそうだ。

 彼女の話が適当に流されていたから伝わっていない、というわけではないと思う。

 だが、彼女からすればそれに等しい気持ちになる。いい気分じゃないだろう。

 ただひとつ良かったとすれば、遅かったけど、彼女の気持ちを理解してもらえたということかな。

 あとは、彼女が残していった仕事のマニュアルとか資料が、今役に立っているそうな。

 こういう彼女の気配りとか、あとの人のことを考えた思いやりというのはやっぱり素晴らしいなあと思う。

 自分が辞めた後、残った人や新しく入る人が困らないようにって考えられるのは理想だけど、なかなかできることじゃない。

 それに、この配慮は辞めるときだけのものじゃない。

 仕事を辞める前からずっと、同じようなことをやり続けていたのだ。

 マニュアルを作るとか、情報をまとめた表を作るとか、ずーっとやってきてた。

 それを最終的にまとめて置いていったにすぎない。

 今役に立っているっていうのもおかしな話なのである。

 ずっと前から役に立って、彼女に感謝していなくちゃいけないはずなのだ。

 彼女が辞めてから、彼女にありがとうって思ったってあんまり意味がない。役に立ってるのは嬉しいことかもしれないけど、素直に喜べないよね。

 彼女のありがたみっていうのは、失って初めて気付くものなのかなってずっと思ってたけど、やっぱりそうだったなって感じだ。

 彼女の重要性に早い段階から気付く人は、彼女に近いレベルで働ける人とか、配慮ができる人だ。

 そうでない人は、彼女がいる間は無意識に彼女に甘えて、頼っている。彼女のありがたさには気付かない。彼女がいなくなって、しばらくしてやっと、彼女がいてくれたからあれだけ楽だったんだとか、彼女が大変な部分をやってくれてたのかとか気付く。

 本当に愚かな人は、いつまで経っても彼女のありがたさに気付かない。

 痛い目見て、あぁやっぱり彼女がいないと大変だって思うんじゃ遅いのよ。

 彼女がどれだけ考えて、どれだけ頑張っていたか、すごく遅くて今更なんだけど伝わっていくのは良いことだ。

 彼女は自分のしてきたことに胸を張って良いと思う。

 彼女以外の誰もやってこなかったことだ。

 もっと早く評価してほしかったとは思うけど、僕は単純に嬉しい。

 彼女のやったことが実を結んでいることと、彼女が評価されていることが。

 僕が信じた彼女の力っていうのは間違ってなかった。

 やっぱり彼女は素晴らしい人なのだ。

 とっても誇らしい。

 おわり。